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「風立ちぬ」を飛び込みで見てきた [映画]

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【本記事は、映画の内容踏み込む部分がありますので、まだ見ていない方で、初見状態で見たい方は、この記事を読まないでください。】

都内に出張したとき、割と早めに仕事が終わったので、近くにあった映画館で、最終回を見ることができた。
金曜だったせいか、9時半からの最終回だった割に、ほとんど満杯だったな。

結論から言うと、自分にとって、物凄く心を揺り動かす映画だった。
ただ、事前の噂であったような、普遍性のある泣ける恋愛話などではなかった。
現物を見ずに、ネットでいい気になって、反戦映画だ、あるいは、逆に右翼映画だ、とレッテル貼りしている人には腹が立つが、そんな単純なイデオロギー映画でもない。

1回見ただけでは、映画に織り込まれたすべての情報が頭の中で咀嚼できておらず、かなりモヤモヤした気分であり、再度見ないと気が済まない状況だ。

まずは表面的な感想から。

人の声による効果音は、やっぱり大画面だと牧歌的になる気がして、最初は気になったが、戦前から戦後への時代背景には合っていて、見てゆくうちに、しだいに気にならなくなった。
なお、音声や効果音はモノラルと聞いていたが、モノラルとは言っても、音源がモノラルなだけで、実際には、モノラルの音が、スクリーン中央から劇場内に広がるよう、ステレオでリバーブやエコーなどのエフェクトはつけてあり、聞きづらくはなかった。

戦闘機などメカの作画は相変わらず素晴らしくて文句ないし、関東大震災のシーンはすごかった。

声優陣も、滝本美織を始めとして、庵野秀明以外みんな素晴らしかった。
庵野については、最初、棒読みっぽいセリフが物凄く違和感があったのだが、次第に、主人公堀越二郎の特異な人格にうまく合っているのが分かり、終ったときには違和感がなくなっていた。

その声とも絡むのだが、この作品の堀越二郎のパーソナリティは、歴史上の二郎本人と言うより、宮崎駿そのものなのだと思う。
一般性があるのかどうかは分からないが、エンジニアのはしくれである私は、そこにかなり共感する部分も多かった。

それは、単純に、エンジニアとして、ゼロ戦開発に全精力を傾ける主人公の、頑張るモチベーションみたいなことだけではない。
そうした理系オタク人間の、一方で、社会人としてのコミュニケーション能力の低さ、特に女性に接するつたなさ、いびつさ、無能さが、若いころの自分を見るようで、痛々しくて、胸に突き刺さるのだ。
そんな男にとって、菜穂子は、美しく、献身的な、ありえない理想の女性像なのだが、そんな女性、ウソ臭くなるはずなのに、滝本美織の演技力が、ぎりぎりの線で踏みとどまらせている。

世間から見れば特異でいびつな価値観を持つ二郎は、戦闘機開発に突き進み、完成させる。
それが世界の中で正しい仕事だったのかどうかはさておき、彼にとって、当時の軍事状況も、人民の貧困状況も全く関係がなく、彼の価値観を体現する戦闘機を作りたかったのだ。
それは、自ら家庭を顧みず、傑作アニメを作り続けた宮崎駿本人の価値観に重なる。

自分と同じような感想はないものかと探してみたら、あった。
ネタバレ満載なので、リンクは張らないが、岡田斗司夫だ。
彼は、映画を観る前に、見てもいないのに、ズケズケ悪口を言っていたのはどうかと思ったが、鑑賞後に語っていた感想は、非常に共感する部分が多かった。

結局、岡田斗司夫は大絶賛なのだが、私自身も、宮崎映画では、心に残る映画としては一番と言える(エンタテイメントとしては、いまだに「ラピュタ」が一番だが)。

でも、自分のような、人付き合いが苦手な理系人間でなければ、この主人公に全く共感できない人がいても不思議はない。
特に女性は、菜穂子に対する、二郎の、悪意はないが無神経な態度に納得できない人が多いだろうな。

その意味で、この映画は人を選ぶ。なぜ、この映画が大入りで、「ぽにょ」を超える勢いなのかは、さっぱり理解できないところがある。

この特異な二郎のパーソナリティについては、他の人も批判している。

ジブリ最新作『風立ちぬ』、公開後の感想も賛否両論……「涙が止まらない」「共感しがたい」(RBB TODAY) - 国内 - livedoor ニュース

東浩紀氏の「普通のユーザーの感覚からすれば、風立ちぬは、戦争産業に従事したり恋人が結核で苦しんでたりするのにまったく主人公に葛藤がないのでびっくりするし、ちょっと共感しがたい(どこに共感すればわからない)映画だと思う。」という感想はあって当然だ。
ただ、東氏が理解しがたい原因は、彼が視野が広く、人間的にも立派な大人だからだ。
じゃあ、東氏のような人間に、ゼロ戦が作れたかというと、それも違うだろう。

中森明夫氏の「現在の宮崎駿は戦前・戦中・戦後を通じて愛すべき『ダメな日本』そのものだ」という評も十分理解できる。

宮崎駿が描いた、二郎の姿は、外の世界を見ず、究極を極めることに意義を感じてしまう日本人エンジニアの発想の限界そのものであり、映画では、それを美化こそしていないが、「生きねば」という言葉で肯定してるように見える。

実際、究極の設計だったゼロ戦の誕生は、既に一対一の空中戦が主体ではなくなっていた第二次大戦に大きな影響を与えることはできなかった。

一方で、現在、外国人から「クレイジー」と言われる日本人的な美学と凝り性が、今の草の根文化である「クールジャパン」として世界に広がり、認められ、その中心に宮崎駿がいるのも事実。

映画では、結局、二郎の生きる道を肯定してしまっているのは、それが、宮崎駿自身の道のりだからだろう。

まだまだ、語りたりないし、語りたいことはいっぱいあふれ出ているのだが、それは、もう一度映画を見直して、頭の中を整理してから書きたい。

最後に、この映画に、そして、この主人公に共感できる人は、間違いなく、いびつな人格の人間だと、自分で認めた方がいい。

それを認めた上で、私は、この映画が好きだし、傑作だと思う。

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