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ウォルター・ベッカーの訃報にショック! [音楽]

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【追悼ウォルター・ベッカー】スティーリー・ダンの影響を受けたアーティストって?

2017年9月8日(金)の「ジェーン・スー生活は踊る」内の「高橋芳朗のミュージックプレゼント」を聴いて、ウォルター・ベッカーが、亡くなったことを知った。
最近、あまり大物ミュージシャンの訃報を聞かなかったもので、個人的には久々の大ショックだったな。

ただ、その日の高橋氏のミュージックプレゼントは、ウォルター・ベッカー本人というよりは、彼がメンバーだったスティーリー・ダンの特集になっていて、そこに亡くなったウォルター・ベッカーがどう絡んでいたのかが全く語られず、個人的には少々不満が残る放送回だった。

そこで、遅まきながら、このブログでは、ウォルター・ベッカー自身についてもう少し深掘りしてみたい。

【訃報】世界的ミュージシャンのウォルター・ベッカーさんが死去 / 享年67歳 | ロケットニュース24

【追悼ウォルター・ベッカー】スティーリー・ダンでの成功と挫折、そして復活の道のり (rockinon.com) - Yahoo!ニュース

ウォルター・ベッカーが亡くなったのは、2017年9月3日で、67歳だったという。死因・死亡場所など詳しい状況は不明。
2017年7月に行われたスティーリー・ダンとしてのフェスティバル出演に、ウォルターは体調不良で参加できず、ドナルド・フェイゲンはその後、Bilboard誌で「ウォルターは手術から回復しているところで、近いうちには元気になるはずだよ」と語っていたらしいので、その頃から病状は思わしくなかったのだろう。

ウォルター・ベッカーというと、ドナルド・フェイゲンとのユニット「スティーリー・ダン」のギタリスト(初期はベースも)だった。


「スティーリー・ダン」は1972年の「キャント・バイ・ア・スリル」でアルバム・デビューを飾り、最初はバンド形態であったが、「プレッツェル・ロジック」の頃からメンバー以外のセッション・ミュージシャンを積極的に利用するようになり、1975年の「うそつきケイティ」製作の頃には、ウォルターとドナルドの二人のユニットという形に落ち着いた。


そして、「幻想の摩天楼」「彩(エイジャ)」「ガウチョ」と高い評価を得たアルバムをリリースし続ける一方、80年代に入るとウォルターは薬物に依存し始め、訴訟問題も抱えて、「ガウチョ」リリース後に「スティーリー・ダン」を解散せざるを得なくなった。


そして、解散後に、ドナルド・フェイゲンが発表した初のソロ・アルバム「ナイトフライ」(1982年)は、グラミーでも「アルバム・オブ・ジ・イヤー」を含む4部門を受賞するなど、高い評価を得ることとなった。

このアルバムの衝撃は大きく、当時、「ナイトフライ」を聞いた人間は、そのあまりに高いクオリティに、スティーリー・ダン=ドナルド・フェイゲンとしか思えず、表舞台から消えたウォルター・ベッカーは、スティーリー・ダンにおいて何もしていないかのような目で見られていた時期があった。

ウォルター・ベッカーはギタリストというポジションでありながら、実際のスティーリーダンのアルバムを聴くと、ゲストプレーヤーのラリー・カールトン、ジェイ・グレイドン、リー・リトナー、リック・デリンジャーらのプレイばかりば目立つので、ウォルターは「ギタリストとして何も仕事をしていないのではないか?」という疑念を抱く人間は、私の周りにも多かった。
ちょうど、「ワム!」において音楽性をすべて取り仕切るジョージ・マイケル=ドナルド・フェイゲンと、アンドリュー・リッジリー=ウォルター・ベッカーみたいな見方だったろうか。

私自身も、その様な見方に完全に汚染されていたのだが、その心象が大きく変わったのが、1994年に、ウォルター・ベッカーがリリースしたソロアルバム「11の心象(11 Tracks Of Whack)」を聴いてからだ。

1993年にドナルドのソロ・アルバム「KAMAKIRIAD」を、薬物中毒を脱したウォルターがプロデュースし、同年には「スティーリー・ダン・フィーチャリング・ウォルター・ベッカー&ドナルド・フェイゲン」名義でライブツアーを開始。

そして、翌年、ウォルターが発表したソロアルバム「11の心象(11 Tracks Of Whack)」は、ドナルドとの共同プロデュースとなっていて、それって「スティーリー・ダン」ではないのか?と訝しく思ったことを覚えている。




このアルバムを聴き始めて驚いた。
ほとんどの曲が、基本ウォルター自身による作詞作曲であるにもかかわらず、そこには、懐かしくも新しい「スティーリー・ダン」の世界があったからだ。
ジャズ・ブルース・ファンクをベースにしたリズム&メロディに、内省的でシニカルな歌詞。
ウォルターには、音楽的才能などないかのように勝手に思っていた私には、戸惑いと驚きがあった。


この後、2000年代に入って、二人はスティーリー・ダンを復活させ、再び傑作アルバム「トゥー・アゲインスト・ネイチャー」「エヴリシング・マスト・ゴー」をリリースしてゆく。

「11の心象」を通して聴いて分かったのは、「スティーリー・ダン」で、ウォルター・ベッカーが何もしていなかったのではなく、あまりにドナルド・フェイゲンと生み出す音楽性に共通点が大きく、自然に融合していて、「スティーリー・ダン」の音楽性の中から、ウォルター・ベッカーの音楽性だけを取り出して語ることが難しかっただけなのではないか?ということだ。

歌詞に関しても、今改めて聴くと、ソロアルバムのドナルドの歌詞はどちらかというと社会的であり、それに対して、ウォルターの歌詞はどちらかというと孤独で内省的。おそらく、基本シニカルなスティーリー・ダンの歌詞世界でも、そうした分担があったのかもしれない。
ただ、それはあえて言えばのことで、歌詞世界においても、二人はかなり似た感性を持っていたのは間違いないと思う。

実際、ドナルドとウォルターは、スティーリー・ダンが結成される遥か前、1968年にニューヨークのバード・カレッジ在学中に意気投合して共同で曲作りを始め、ずっと一緒に活動してきた同士であり、おそらく、その頃から、お互いの音楽性について、相通ずるものがあったのだろう。

ウォルターの薬物依存でスティーリー・ダンの解散を余儀なくされた後も、ウォルターが薬物から脱出出来次第、ドナルドが「KAMAKIRIAD」で復帰の手を差し伸べ、最終的にはスティーリー・ダン再結成に至ったのは、既に書いたとおり。

「ナイトフライ」の時代、勝手に想像したドナルド=スティーリー・ダンという妄想は完全にデタラメで、ドナルドとウォルターは、同じ目標に向かって音楽を生み出すために生まれてきた双子のようなパートナーだったというのが真実なのではないだろうか。


それは、改めてこのアルバム「エイジャ」のメイキングドキュメンタリを見ても分かる。

ウォルター・ベッカーの訃報を受け、スティーリー・ダンの相棒ドナルド・フェイゲンが追悼コメントを発表 - amass

【追悼ウォルター・ベッカー】スティーリー・ダンでの成功と挫折、そして復活の道のり (rockinon.com) - Yahoo!ニュース

それは、ウォルターの死に際して、ドナルドが語ったメッセージなどを読んでも分かる。
ウォルターの不幸な生い立ちも、それが薬物におぼれる原因になったことも知っていて、それをすべて受け入れて共に歩んできたドナルドの言葉は慈愛に満ち溢れており、二人の間に確執も上下関係もなかったことが、改めて伝わった。

スティーリー・ダン、ウォルター・ベッカーの死後初となるツアーの日程を発表 | NME Japan

そして、ドナルドは、ウォルターの訃報の後、自身のソロコンサートをキャンセルしたが、改めてウォルターへの追悼の意味も込めて、10月に北米ツアーを行うことを発表した。
ぜひ日本にも来てくれないかな。
スティーリー・ダンなら、少々高くても、オレは見に行くぞ!

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