歌手ヘレン・レディの訃報 [音楽]
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歌手ヘレン・レディさん死去 - Yahoo!ニュース
オーストラリア出身の歌手のヘレン・レディが、9月29日、ロサンゼルスで亡くなったそうだ。
78歳と、女性としてはまだ若かったが、近年は認知症でずっと療養しており、メディアに出る機会は最近なかったようだ。
私が、彼女の歌を初めて聴いたのは、ラジオから流れてきた「ブルーバード」だったと思う。
この曲、元々、シンガーソングライター・レオンラッセルの曲なのだが、彼の皺枯れ声とは全く違う、太くて滑らかで、しかも、一聴して彼女と分かる個性的な声に聞き惚れ、他の曲も注意して聞くようになった。
米国でのレビューは1971年で、「I Don't Know How to Love Him(私はイエスがわからない)」が、まずヒット。
当時、この邦題の「イエス」というのが、イエス・キリストのこととは気づかず、「どういう内容の歌なんだろう?」というところから、興味を惹かれた。
調べたら、アンドリュー・ロイド・ウェバー男爵が作曲した、1971年のロック・オペラ「ジーザス・クライスト・スーパースター(Jesus Christ Superstar)」の挿入歌をカバーしたもので、マリア様がイエス・キリストを世話するシーンで歌わる曲なので、この邦題が付いているが、実は、ヘレン・レディ自身は、この歌詞を普通の男女の恋愛に置き換えて歌ったそうで、この邦題は気を遣い過ぎて誤訳だったみたい。
そして、彼女を一躍有名にしたのが、同年の「I Am Woman(私は女)」という曲。
ヘレンは、他人の作ったカバー曲が多いのだが、この曲は、彼女とレイ・バートンによる共作だ。
これが、ウーマン・リブ運動が盛り上がる当時の中で、翌1972年に全米ナンバーワンに輝き、この曲で、豪州人がはじめてグラミー賞を初めて受賞した。
その後も、
カントリー色が強い「デルタ・ドーン」や、
アラン・O・ディ作の「アンジー・ベイビー」などのヒットを飛ばしながら、テレビ司会者や女優としても活躍した。
個人的に好きな曲は、元はフランスの曲に英語詞を付けた「Emotion」とか、
後に、バリー・マニロウがカバーしてヒットさせた「Somewhere In The Night(夜のしじまに)」あたりかな。
どちらも、ヘレンのヴォーカリストとしての確かな力量が分かる名曲だと思う。
『I Am Woman』ヘレン・レディの伝記映画が公開 | SACD、高音質盤、音楽について語るブログ
2019年には、彼女の伝記映画「アイ・アム・ウーマン」が制作され、海外では、彼女が亡くなる直前の2020年9月11日に、劇場公開とオンデマンドで公開されたようだが、残念ながら、彼女自身が、この映画を見ることは叶わなかったと思われる。
なお、日本での、この映画の公開は未定とのこと。
彼女は、米国では、今に繋がるフェミニズム運動の先駆けとして、強く記憶に刻まれているが、残念ながら、日本での知名度は、今は高いとは言えず、これも仕方ないのかな。
関連記事:
トム・ペティの突然の訃報・66歳かよ・・・:コンテンツって言い方、嫌いだけど:So-netブログ
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78歳と、女性としてはまだ若かったが、近年は認知症でずっと療養しており、メディアに出る機会は最近なかったようだ。
私が、彼女の歌を初めて聴いたのは、ラジオから流れてきた「ブルーバード」だったと思う。
この曲、元々、シンガーソングライター・レオンラッセルの曲なのだが、彼の皺枯れ声とは全く違う、太くて滑らかで、しかも、一聴して彼女と分かる個性的な声に聞き惚れ、他の曲も注意して聞くようになった。
米国でのレビューは1971年で、「I Don't Know How to Love Him(私はイエスがわからない)」が、まずヒット。
当時、この邦題の「イエス」というのが、イエス・キリストのこととは気づかず、「どういう内容の歌なんだろう?」というところから、興味を惹かれた。
調べたら、アンドリュー・ロイド・ウェバー男爵が作曲した、1971年のロック・オペラ「ジーザス・クライスト・スーパースター(Jesus Christ Superstar)」の挿入歌をカバーしたもので、マリア様がイエス・キリストを世話するシーンで歌わる曲なので、この邦題が付いているが、実は、ヘレン・レディ自身は、この歌詞を普通の男女の恋愛に置き換えて歌ったそうで、この邦題は気を遣い過ぎて誤訳だったみたい。
そして、彼女を一躍有名にしたのが、同年の「I Am Woman(私は女)」という曲。
ヘレンは、他人の作ったカバー曲が多いのだが、この曲は、彼女とレイ・バートンによる共作だ。
これが、ウーマン・リブ運動が盛り上がる当時の中で、翌1972年に全米ナンバーワンに輝き、この曲で、豪州人がはじめてグラミー賞を初めて受賞した。
その後も、
カントリー色が強い「デルタ・ドーン」や、
アラン・O・ディ作の「アンジー・ベイビー」などのヒットを飛ばしながら、テレビ司会者や女優としても活躍した。
個人的に好きな曲は、元はフランスの曲に英語詞を付けた「Emotion」とか、
後に、バリー・マニロウがカバーしてヒットさせた「Somewhere In The Night(夜のしじまに)」あたりかな。
どちらも、ヘレンのヴォーカリストとしての確かな力量が分かる名曲だと思う。
『I Am Woman』ヘレン・レディの伝記映画が公開 | SACD、高音質盤、音楽について語るブログ
2019年には、彼女の伝記映画「アイ・アム・ウーマン」が制作され、海外では、彼女が亡くなる直前の2020年9月11日に、劇場公開とオンデマンドで公開されたようだが、残念ながら、彼女自身が、この映画を見ることは叶わなかったと思われる。
なお、日本での、この映画の公開は未定とのこと。
彼女は、米国では、今に繋がるフェミニズム運動の先駆けとして、強く記憶に刻まれているが、残念ながら、日本での知名度は、今は高いとは言えず、これも仕方ないのかな。
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