任天堂の岩田聡社長が逝去、海外のファンからも悲しみの声…海外の反応

任天堂の岩田聡社長が、2015年7月11日に胆管腫瘍で亡くなったことが発表された。
2014年6月に胆管に腫瘍を患っていることを公表したのは知っていたが、手術後割とすぐに復帰したし、E3 2015のスピーチ映像でも、末期がんに見られる痩せ細った感じもそれほどなかったので、このタイミングで亡くなったのは意外だった。
享年55歳とは若過ぎる。

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と発表した。岩田聡氏は1959年、札幌市で生まれ、だった。2002年、代表取締役社長に就任してから「ニンテンドーDS」や「Wii」などを世に送り出し、任天堂の成長を牽引した。

岩田というと、後に任天堂に吸収されるゲームベンダー「HAL研」で、ファミコンの「ピンボール」「ゴルフ」「バルーンファイト」などを手掛け、当時のプアな8ビットマイコンで、滑らかな物理運動のアニメーションを実現したことで有名になったプログラマーだった。
後に、HAL研の社長となるが、社長就任中にも、「MOTHER2」が頓挫しかかっていた時に、後からプログラマー兼プロデューサーとして参加し、「今あるプログラムを使うと完成まで2年かかります。ですが私が一から作れば1年で出来ます。どちらにしますか?」と発言し、必要なプログラム構造を一から設計し直し、見事1年で完成させたという逸話など、様々な伝説的逸話を残した。