先日、百田尚樹の「海賊とよばれた男」の文体が、星新一の「人民は弱し 官吏は強し」の文体や文章のリズムによく似ていることを書いた。


今度は、昔読んだ芦辺拓のミステリー長編小説「時の誘拐」を、電子書籍で再び読んでいて、再び、似た感覚を思い出した。

この小説、1996年に刊行された弁護士・森江春策の事件簿シリーズの3作目で、現在で起きる(当時基準での)ハイテク誘拐事件と、一見無関係な戦後の大阪に起きた連続殺人事件を交互に描きながら、最後にあっという結末を迎える本格ミステリーだ。

興味深かったのは、もう一つの警察「大阪警視庁」が存在した、戦後の大阪の時代描写。
過去を描く場合、その時代の核になる人物と、その周りの事件を中心に詳細に描くケースが多い。
しかし、この小説には、自分が知る有名な人物はほとんど出てこない。ごく普通の市井の人々の生活が、普通の人々の視線で、描かれる。

その描写がきめ細かく、独特なのだ。
市民が乗っている市電の値段はいくらで、それは、他のどんなモノの値段に該当するのか?とか、当時、市民の間でどんなものが流行っていて、どんな職業が新たに登場し、人気を集めたのか? 子供たちにはどんな職業が夢だったのか?といった、ある意味、ストーリーの本筋とは関係ないディテールが、読者に、戦後直後の大阪の雰囲気を豊かなイメージを喚起させる。
それが最終的には、現在の事件に深くかかわってくるという、本格ミステリーの骨格もしっかりあって、とても面白い小説だ。

随分前の小説だが、今読んでも、とても面白いミステリー長編だった。

さて、この小説の過去パートを読み始めて、「あっ、この独特の文体はアレだな!」とすぐに思い至った。


今は亡きSF作家の広瀬正の「マイナスゼロ」「エロス」といった過去の時代を扱ったSF小説があった。
「マイナスゼロ」はタイムマシン、「エロス」はパラレルワールドという、SF的な仕掛けありながらも、「マイナスゼロ」の昭和初期、戦中の時代、「エロス」の昭和初期の描写では、ごく普通の市井の人々の生活が、普通の人々の視線で、ディテール豊かに描かれる。
もちろん、どちらの作品も「時の誘拐」より遥か昔の作品なので、「時の誘拐」が、広瀬正の文体を利用したのかもしれない。

『マイナス・ゼロ』 のSF作家・広瀬正: 零画報

広瀬正については、直木賞選考でも、司馬遼太郎のみが絶賛しているが、彼の文体が、新しい歴史小説を開拓したことは間違いないし、せっかくの発明が、広瀬正を最後に途絶えてしまうのはもったいない。
なので、「時の誘拐」を読んでいて、広瀬正のあの愛すべき文体がまた読めたことに、とても嬉しくなった。

よく、文体を作家の個性としてとらえる向きがあるが、文体は表現手法であり、それに著作権がある訳でもないのだから、いい文体は、もっと繰り返し利用されてもいいと思う。

続編の「時の密室」も、現代と並行して、明治時代や昭和初期の時代描写が出てくる、似た構成の小説みたいだが、こちらは未読なので、さっそく電子書籍で読みたいと思う。

一方、長らく絶版状態だった広瀬正の作品も、再び文庫で改訂版が出ていて、買える状況にあるらしい。できれば、早く電子書籍でも簡単に手に入るようになってほしいところだ。

「マイナスゼロ」は、今読んでも、何ら色褪せることのないタイムマシンSFの名作だ。
「エロス」も、「マイナスゼロ」のようなSF的なギミックは薄いものの、彼独特の文体を生かした歴史小説であり恋愛小説としては、「マイナスゼロ」を超える最高峰の作品だと思っている。
是非一度読んでみて欲しい。

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