T-SQUAREは、本格的な米国進出を目指したが、既に米国に「THE SQUARE」というバンドがあったこともあり、「T-SQUARE」に改名。
1987年から米国ツアーを敢行した。
その際、回ったライブハウスがジャズ中心であったこともあるのか、いわゆるT-SQUAREらしい曲があまり受けず、ジャズ、ファンク色が強い曲の方が受けたようだ。

それに対し、元々ジャズマインドの強い伊東たけしは、全米に進出するためにジャズ色を強めることを強く主張し、ロック色も強いT-SQUARE固有の音楽スタイルにこだわる安藤ひろまさとの意見の相違が広がったらしい。
実際、そうした言い合いをしている二人のインタビューを見た記憶がある。

その後、米国市場向けに制作されたアルバム「NATURAL」は、ジャズ、ファンク色が強いものとなり、米国のジャズチャートでは一定の評価を得たものの、それまで幕の内弁当的な手堅いアルバム作りをしてきた日本でのセールスは芳しくなく、この結果を得て、二人の目指す音楽性に決定的な意見の相違が生じたのだと思われる。

ライブでも、伊東たけしは、ソロパートだけではなく、主旋律のメロディをベテラン歌手のように崩し始め、ジャズ要素を強めていき、それは違和感を感じる程でもあった。
ついには、1990年末にT-SQUAREを脱退し、LAに単身渡米し音楽活動を始める。伊東の代わりには、本田雅人が加入し、T-SQUAREは順調に活動を続け、伊東たけしの情報は入らなくなっていた。


1992年、伊東たけしが、LAでレコーディングしたセカンド・ソロアルバム「VISIONS」を発表。アルバムに収録された山下達郎の名曲「Blow」はシングルカットもされ、LAミュージシャンを連れて、日本でライブツアーを敢行した。
ちなみに、このアルバム「VISIONS」は、なぜか今は廃盤で、入手困難になっているらしい。

私は、その凱旋ライブを大阪で見ている。